LOGIN「あなた……私の案を盗んだ」
ほとんど息みたいな声。 でも、成瀬には届いた。 視線が、ぴくりと動く。 「は?」 低く、刃物みたいな一音。 成瀬は微笑んだまま、声だけを落とす。 「ルクソリアのアワードを取った私が、個人工房のあなたの案を?」 刺すような視線。 「思い上がりも、ほどほどにして」 周囲には聞こえない。 でも、確実に私だけに届く声。 私は、口を閉じた。 顔が熱い。喉が詰まる。 (……言っちゃった) 視線を落とす。 心臓の音が、うるさい。 ——でも。 胸の奥で、静かに火が灯った。 (……負けたくない) ここは、選ばれる場所。 比べられる場所。 私は、椅子に座りながら、 廊下で言われた言葉を思い出してしまう。 ——君の線は一度みたら忘れられない。 やがて扉が開き、簡単な挨拶と会社概要の説明が始まった。 形式的な言葉が、淡々と続く。 そして、いよいよ審査に移る。 「では、グループディスカッションを始めます」 進行役の声が落ちる。 テーマが、スクリーンに映し出された。 ——《アウローラ》を、現代に蘇らせるとしたら。 頭の中が、真っ白になる。 そんなこと、考えたこともなかった。 周りを見ると、皆、頷いたり、メモを取ったりしている。 汗が、じわりと滲んだ。 私なんかが、ここに来てよかったんだろうか。 ——すべては、あの夜から始まった。 *** 半年前の夜だった。 「あっ……」 ベッドの中で、声が漏れたのは、気持ちよかったからじゃない。 でも、その日を境に、黒崎からの連絡は途絶えた。 不思議ではなかった。 理由を考えるほどのことでもない。 ……そう思おうとした。 自分からかけることはなかった。 かけていい理由が、もう見つからなかったからだ。 それから数ヶ月後。 帰りの電車で、私はスマートフォンを眺めていた。 何気なくスクロールしていた指が、止まる。【《ルクソリア》、伝説のライン《AURORA(アウローラ)》復活プロジェクト始動】 ——アウローラ。 母の工房が胸の奥に浮かんだ。 年代物のミシンと、布の匂い。 薄暗い部屋の奥に、ひとつだけ空気の違う場所があった。 古いトルソー。 埃をかぶらないよう、白い布が丁寧に掛けられている。 まるで、触れてはいけないものを守っているみたいだった。 その下に、一着のドレスがある。 工房の中なのに、そこだけ光の落ち方が違った。 ——王宮みたいだ、と、子どもの頃の私は思った。「ねえ、澪」 トルソーの前で、母は少し照れたように笑った。「これね、人生を変えるドレスなのよ」「……なんで、お母さんが?」 首を傾げる私に、母は布の端を指先でなぞりながら言った。「私は、華やかな世界に立つ人じゃないから」 穏やかな声だった。「でもね、あの世界は、こういう人間が作ってるの」 ミシンの音。 積まれた布。 母は工房を一度見渡してから、もう一度トルソーを見る。「表に出る人じゃなくても、誰かの人生を変えるものは、作れるのよ」 少しだけ誇らしそうに。「素敵でしょう?」 私は答えず、ただ頷いた。「——私も、アウローラを作る」 あのときの言葉は、叶わない憧れになって、それでも消えることはなかった。 スマートフォンの画面に戻る。 《アウローラ》復活。 記事の文字が、わずかに滲んで見える。(……まだ、終わってなかったんだ) 期待より先に、警戒が立つ。(羨ましい。でも)(私とは、違う世界) そう思って次のページを開いた瞬間、指先が止まった。【《ルクソリア》若手デザイナー・成瀬美玲、社内アワード受賞】【《アウローラ》デザイナー候補に】 画面いっぱいに、ドレスの写真が広がる。 呼吸が、浅くなる。 切り替え。 影の落ち方。 歩いたときの揺れ。 ——見覚えがあった。 自分が引いた線だ。 頭が、うまく回らない。
「あなた……私の案を盗んだ」 ほとんど息みたいな声。 でも、成瀬には届いた。 視線が、ぴくりと動く。 「は?」 低く、刃物みたいな一音。 成瀬は微笑んだまま、声だけを落とす。 「ルクソリアのアワードを取った私が、個人工房のあなたの案を?」 刺すような視線。 「思い上がりも、ほどほどにして」 周囲には聞こえない。 でも、確実に私だけに届く声。 私は、口を閉じた。 顔が熱い。喉が詰まる。 (……言っちゃった) 視線を落とす。 心臓の音が、うるさい。 ——でも。 胸の奥で、静かに火が灯った。 (……負けたくない) ここは、選ばれる場所。 比べられる場所。 私は、椅子に座りながら、 廊下で言われた言葉を思い出してしまう。 ——君の線は一度みたら忘れられない。 やがて扉が開き、簡単な挨拶と会社概要の説明が始まった。 形式的な言葉が、淡々と続く。 そして、いよいよ審査に移る。 「では、グループディスカッションを始めます」 進行役の声が落ちる。 テーマが、スクリーンに映し出された。 ——《アウローラ》を、現代に蘇らせるとしたら。 頭の中が、真っ白になる。 そんなこと、考えたこともなかった。 周りを見ると、皆、頷いたり、メモを取ったりしている。 汗が、じわりと滲んだ。 私なんかが、ここに来てよかったんだろうか。 ——すべては、あの夜から始まった。 *** 半年前の夜だった。 「あっ……」 ベッドの中で、声が漏れたのは、気持ちよかったからじゃない。 でも、黒崎 恒一は、こちらの反応なんて見ていなかった。 独りよがりに動いて、さっさと終わる。 息を整えながら、「悪くなかったよ」と言う。 それだけだった。 そのあと、触れ直すことはない。 キスも、確かめる手もない。 私がどうだったかなんて、どうでもいいんだろう。 来る前に連絡はない。 明朝が納期の舞台衣装の仕上げがあって早く寝たいのに、そんなことは気にしない。 部屋に入るなり、勝手に暖房をつける。 電気代を節約しているのに。 お茶を出せば、「安いやつ?」と眉を動かす。 それで全部。 (……雑に扱われてる)
「……来たな」 社長室の大きな窓から、久世 怜司はエントランスを見下ろしていた。 白川 澪。 服装も化粧も控えめ。 古い型のスーツを、無駄なく仕立て直している。 目立とうとはしていない。 だが、線の取り方、丈の落とし方、袖の収め方―― そのすべてが、異様なほど正確だった。 (……なるほど) 今日は、二次審査の日だった。 服飾のハイブランド《ルクソリア》。 その中でも、伝説と呼ばれるライン――《AURORA(アウローラ)》。 そのデザイナーを選ぶための、最終候補を絞る選抜。 そして今、その席にふさわしいかどうかを見極める相手が、もうそこにいる。 伝説のドレス《アウローラ》を、もう一度この世に引きずり戻せるかもしれない。 たった一人の女。 「……ちょっと、確かめてくる」 背後で、秘書の佐々木が息を呑む音がした。 扉を開ける直前、怜司は振り返りもせず、小さく呟く。 「面白くなりそうだ」 *** 私、白川澪が本社ビルに着いたのは、予定より少し早かった。 南青山の《ルクソリア》本社。 ガラス張りのエントランスは、朝の光を受けて静かにきらめいている。 受付を通り、案内までの時間を確認してから、私は足を止めた。 ——《アウローラ》。 展示スペースの一角。 写真と図面、簡潔な解説。 着る人の人生を変えるドレス。 視界に入った瞬間、世界が一段、静まった。 息を吸うのを忘れる。 ただ、そこに在る、という圧だけがあった。 母の工房にあったものとは、違う。 色も素材もデザインも。 でも、纏う空気と完成度は変わらない。 布の重なり。 光の逃げ方。 影になる位置。 写真なのに、分かる。 観客席から見えない部分。 動いたときにだけ現れる線。 (……これ) 考えるより先に、身体が反応した。 バッグからスケッチブックを取り出す。 鉛筆を走らせる。 線が、止まらない。 さっきまで霧がかかっていた部分が、するすると形になる。 ここは、落とす。 ここは、逃がす。 光を集めすぎない。 ページをめくる。 もう一度、重ねる。 ——楽しい。 こんなふうに、頭と手が同時