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第2話 盗まれたのは、私の全てだった

last update Last Updated: 2026-01-25 15:07:21

「あなた……私の案を盗んだ」

 ほとんど息みたいな声。

 でも、成瀬には届いた。

 視線が、ぴくりと動く。

「は?」

 低く、刃物みたいな一音。

 成瀬は微笑んだまま、声だけを落とす。

「ルクソリアのアワードを取った私が、個人工房のあなたの案を?」

 刺すような視線。

「思い上がりも、ほどほどにして」

 周囲には聞こえない。

 でも、確実に私だけに届く声。

 私は、口を閉じた。

 顔が熱い。喉が詰まる。

(……言っちゃった)

 視線を落とす。

 心臓の音が、うるさい。

 ——でも。

 胸の奥で、静かに火が灯った。

(……負けたくない)

 ここは、選ばれる場所。

 比べられる場所。

 私は、椅子に座りながら、

 廊下で言われた言葉を思い出してしまう。

 ——君の線は一度みたら忘れられない。

 やがて扉が開き、簡単な挨拶と会社概要の説明が始まった。

 形式的な言葉が、淡々と続く。

 そして、いよいよ審査に移る。

「では、グループディスカッションを始めます」

 進行役の声が落ちる。

 テーマが、スクリーンに映し出された。

 ——《アウローラ》を、現代に蘇らせるとしたら。

 頭の中が、真っ白になる。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 周りを見ると、皆、頷いたり、メモを取ったりしている。

 汗が、じわりと滲んだ。

 私なんかが、ここに来てよかったんだろうか。

 ——すべては、あの夜から始まった。

***

 半年前の夜だった。

「あっ……」

 ベッドの中で、声が漏れたのは、気持ちよかったからじゃない。

 でも、黒崎くろさき 恒一こういちは、こちらの反応なんて見ていなかった。

 独りよがりに動いて、さっさと終わる。

 息を整えながら、「悪くなかったよ」と言う。

 それだけだった。

 そのあと、触れ直すことはない。

 キスも、確かめる手もない。

 私がどうだったかなんて、どうでもいいんだろう。

 来る前に連絡はない。

 明朝が納期の舞台衣装の仕上げがあって早く寝たいのに、そんなことは気にしない。

 部屋に入るなり、勝手に暖房をつける。

 電気代を節約しているのに。

 お茶を出せば、「安いやつ?」と眉を動かす。

 それで全部。

(……雑に扱われてる)

 ——でも。

 黒崎は、服飾系ハイブランド《ルクソリア》の関連会社、《ルクソリア・ワークス》に勤めている。

 舞台やイベント、広告案件の制作を回す仕事。

 デザインを考える側ではない。

 だが、誰の企画を使い、どの名前で世に出すかを決める立場にいる。

 黒崎は、私が初めて出会った「業界の人」だった。

 衣装トラブルが起きた夜、黙って縫い直した線を、黒崎は「いい」と言った。

 それが、始まりだった。

 これまで誰とも付き合ったことがなかった。

 貧乏で、時間がなくて、好きになる余裕も、選ぶ余裕もなかった。

 黒崎は、初めて私を「女の子」として扱った人だった。

 名前を呼ばれて、触れられて、それを当たり前のように受け取ってしまった。

 だから、離れ方が分からなかった。

 黒崎の寝息が規則正しくなったあと、私は天井を見ていた。

 カーテンの隙間から、街灯の光が細く差し込んでいる。

 その線を見た瞬間、何かが繋がった。

(……この位置)

 布の重なり。

 影になる部分。

 歩いたとき、光が逃げる方向。

 胸の奥が、熱を持つ。

 ——あ、これ。

 考えるより先に、身体が動いた。

 そっとベッドを抜け出し、スケッチブックを開く。

 鉛筆を持つ手が、少し震えている。

 でも、止まらない。

 線が落ちる。

 一気に、形になる。

 迷いも、違和感も、線の中に溶けていった。

 鉛筆の音だけが、部屋に響く。

 夢中だった。

 安い布でも、舞台に立てるドレス。

 確信が、静かに積み上がっていく。

(……いける)

 ページをめくろうとした、そのとき。

「……なに、それ」

 背後から声が落ちた。

 振り返ると、黒崎が起き上がっていた。

 寝起きのまま、スケッチブックを見ている。

「前見たのと、違うな」

 近づいてくる。

 私は反射的に、スケッチブックを引き寄せた。

「……まだ途中で」

「へえ」

 黒崎は構わず覗き込む。

「これ、いい」

 胸の奥が熱くなる。

 でも、その熱はすぐに冷えた。

 黒崎はスマートフォンを取り出していた。

「ちょっと撮る」

「え……?」

 言葉が遅れる。

「通すだけだから」

 今ここで止めれば、終わる気がした。

 関係も、仕事も。

 仕事が止まる。

 それが、いちばん困ると分かっていた。

 それで言えない自分が嫌だった。

 シャッター音が鳴る。

 一度。二度。

 線が、光の中に切り取られていく。

「これ、使うね」

 軽い声だった。

「名前は、あとでいいや」

(いやだ)

(私のなのに)

「だめ」

 反射的に、手が伸びた。

 次の瞬間、手首を強く掴まれる。

「……っ、痛」

 黒崎は、顔も見ずに言った。

「名前をつけてあげるって言っただろう?

 信じられないのか?」

「でも」

「僕がいなければ、お前のデザインなんて誰にも見てもらえないんだよ」

 力を緩めないまま、スマートフォンを操作する。

 シャッター音が、短く鳴った。

「ほら、終わり」

 手を放される。

 赤くなった手首には、もう興味もないみたいだった。

「大げさなんだよ」

 それだけ言って、黒崎は背を向ける。

 私は、その場から動けなかった。

 手首が、遅れてじん、と痛む。

(……私の、なのに)

 声に出せなかった。

 出したら、全部終わる気がして。

 黒崎はそのままベッドに戻り、すぐに寝息を立てた。

 私は、鉛筆を握ったまま、動けなかった。

***

 翌朝、黒崎は私が目を覚ます前に帰っていた。

 机の上を見て、息が止まる。

 スケッチブックが、なかった。

 引き出しも、ミシン台の横も、確かめた。

 それでも、見つからない。

 ——完成させる前に、奪われた。

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